『論語』の「先進第十一の十」に、「顔淵(がんえん)死す。子これを哭(こく)して慟(どう)す。従者の曰く、子慟せり。曰く、慟すること有るか。夫(か)の人の為に慟するに非(あら)ずして、誰が為にかせん」とあります。
之は、『顔回が死んだ時、孔子は悲嘆のあまり慟哭され、連れ添った門人たちが言った。「先生は大変な悲しまれようでした」。孔子は言われた。「私はそんなに悲しんだかね?あのような人間の死を悲しまないで、誰のために悲しむと言うのだ?」』という章句です。
上記より、孔子は精神的に弱い人かと言うと、そうではありません。人間として当然持つべき感情の吐露は、寧ろメンタリーに健全な状況だと思います。そしてまた、泣くべき時に泣かないでいることは、メンタリーに強いということも意味しません。
その人が精神的に強いか弱いかの判断は、通常の状況下で本来出来るものではないと思います。それは、想像を絶するような事象が起こった時に、正に「弁慶少しも騒がず慌てず」ということが出来るか否かに拠りましょう。
当ブログでは嘗て『論語』や『呻吟語』あるいは『呂氏春秋』といった書物から様々な人物判定の方法を御紹介しましたが、つまりは「恒心…常に定まったぶれない正しい心」がどうかの一点こそが急所であると思います。
此の恒心というのは「言うは易く行うは難し」で極めて難しいことですが、その実現を図るに私は取り分け次の三点が重要
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精神的に強い人
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