「統治権」の問題は、実はけっこう奥が深い。
逆説的なのだが、権力に抵抗することをアイデンティティとして掲げる護憲派の戦後日本の「抵抗の憲法学」(石川健治・東大教授)こそが、「統治権」なる古めかしい概念を温存し続けている。なぜか。
「抵抗」する相手が必要だからだろう。「抵抗」する相手が「主権者・国民」様では、困った事態である。何としても「主権者・国民」様には、憲法学者の指導にしたがって、共に権力者に「抵抗」していただきたい。「統治権」がなかったら、権力者を「主権者・国民」様と区別できなくなってしまう。
たとえば自衛権も、政府が行使する「国権」なら「統治権」の一つになる。「主権」ではない。となると、自衛権は「抵抗」の対象である権力者側の権利として、何とかして「制限」していかなければならない・・・。
「主権者・国民」様が自分自身で自分を守る「民衆蜂起」なら、OKだ。しかし国民を守るためだと言って、「政府=統治権の行使者」が自衛権を行使するのであれば、「制限」しなければならない・・・。
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それにしても、もう少しクールな見方はできないのだろうか。たとえば、「統治権」などというものは、ない。ただ芦部先生の基本書で登場するだけで、実は存在していない、といった冷静な見方をとってはいけないのだろうか。
アメリカ合衆国のように、憲法で政府に与えられた権限(powers)を、政府は人々のために正しく使
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