「おんな城主直虎」桶狭間と井伊家の真実はこうだ
関ヶ原の戦いを数分で終わらせた「真田丸」もひどかったが、「おんな城主直虎」でも開始10分後にテレビを付けたら戦いは終わっていた。皆さんあまりにも消化不良だろうから史実を書いておく。
義元のこの遠征の狙いは、一気に上洛をしようとしたという説から、尾張・三河の国境を固めて、三河の確固たる領国化を狙ったとするものまで様々だ。
ただ、とりあえずの軍事行動の狙いは明らかです。この戦いの前に、今川方は大高城と鳴海城を確保していた。それに対して、織田方は鷲津砦と丸根砦を築いて大高城への圧迫を強めていた。そこで、今川方は松平元康に命じて大高城に兵糧を運び込ませ、丸根、鷲居の砦を攻撃し手中に収めた。
そして、後方の沓掛城から安全になった大高城に移動しようとして、動き始めた。今川軍はにわか雨に打たれて、少し開けた道ばたで休息することにした。そこへ、少数ですが精鋭を集めた部隊を率いた信長は、奇襲をかけた。雨上がりの心地よい気分が、一瞬の隙を作り、今川軍は統制を失った。信長は、義元だけを狙うように的確な指示を部下たちに徹底させ、あざやかに目的を達した。
今川義元の最期を描いた『尾州桶狭間合戦』(歌川豊宣。Wikipediaより:編集部)
かつては、迂回して襲ったといわれていたが、現在は真正面から一気に突っ込んだと分かっている。このときの信長軍は2000人ほど、義元の部隊は5000ほどですが、護衛部隊は3
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