ちきりんさんが学校教育がダメな理由と、「学校には価値がある」という主張が無意味なわけという論考で、学校教育の生産性の低さに警鐘を鳴らしています。
私の主張は「学校での学びは、学びの生産性が他の選択肢に比べてとても低い。だから無理して行く必要はない」というものです。価値がゼロより上だと言われても、それだけで無条件に自分の時間やお金を投入したいとは思えません。
そのとおりなのです。では、なぜみんながみんな学校に行くのか。それは「生産性を低くしても耐えられる能力を身につけるため」なのです。
学校教育の目的とは何でしょうか。
教育基本法の第1条(教育の目的)によると、
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
とのことです。
文科省の人や教委の人はどう思っているかわかりませんが、「人格の完成」をじっさいの教育現場レベルで読み解けば、「どんなに生産性が低かろうが間違った道筋だろうが、みんなが不快に思わないように波風たてないようにがまんできる」能力を身につけることです。このように「前ならえ」とかアクティブラーニングの発言における空気に読み合いとか、わかり切った授業でも姿勢を正して聞くとか、時間いっぱいやらなければいけない掃除活動とか枚
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