神武東征は日本書紀に書かれてなかった
「世界と日本がわかる 最強の世界史」(扶桑社新書)を昨年の12月に刊行したが、今月末には「日本と世界がわかる 最強の日本史」(扶桑社新書)が発売になります。世界通史と日本通史をワンセットで書きたいという希望を容れていただき、二ヶ月の時間差で発売していただけることになりました。
同じ著者が世界史と日本史とこういうかたちでワンセットで書いているのは、ほかにないといってもいいので、ちょっと、画期的な試みです。
今回の日本史は「アジアの中の日本」を描いてますが、中国中心だったり、韓国の空想的史観を受け入れたりせずに、日本を中心に描いてます。
そのなかで、雄略天皇など「倭の五王」の中国南朝への使節派遣を日本国家の世界外交デビューと位置づけています。卑弥呼の魏への使節派遣は、日本側に記憶がないのですから、九州の女酋長のやったことで、無視して良いものです。
その倭の五王のうち雄略天皇とみられる倭王武の上表文(378年)は、大和朝廷が自らの来歴を語った文章で、同時代の記録で確認できる最古のものです。
それによると、「昔からわが祖先は、みずから甲冑をつけて、山川を越え、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のほうの海を渡って、平らげること九十五国に及んでいます」と言っています。
つまり、畿内国家である大和朝廷が、列島の中で東と西に同じくらいの地域を征服し、
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