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大名の序列と天皇と将軍の関係の真実

経済ニュース
「おんな城主 直虎」は苦戦が予想されていた割には好調。戦国末期という時代の雰囲気をマイルドだがまずは的確に描いていてバランスが良い。映像的にも江戸時代的な清潔すぎる美意識に傾かず、しかし、「平清盛」のときのようなわざと悪しく薄汚いこともなくいいのではないか。
今川義元はいかにも公家のように描かれているが、実は、室町時代の大名はそれほど官位は高くない。義元については詳細が分からないが、従四位というところだろう。武田信玄で従四位大膳太夫だ。将軍もだいたいは三位くらいだ。
それでは、江戸時代の将軍や大名はどんなところだったのか。
まず、徳川将軍家は五摂家につづく清華家相当だ。公家で言えば西園寺、三条、久我などと同格だ。ちなみに豊臣家は五摂家相当だった。清華家は太政大臣になることはできるのだが、摂関にはなれない。将軍は原則として正二位右大臣だった。
そして、尾張、紀伊、加賀前田が従二位権大納言、水戸や一橋、田安、清水の御三卿が従三位中納言くらい。その次が、従四位上の高松松平、彦根井伊、島津、伊達といったところ。さらに、正四位下の越前松平、会津松平など。従四位下になると毛利、山内、上杉など国持ち大名が出てくる。したがって、四国では石高は徳島、高知、松山より下の高松が一番上だった。(江戸初期と幕末は高い官位が多くて例外)
高家は特別な扱いで、吉良は従四位上だから上杉などより高位だった。また古河

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