変革を起こす人材のYou Can Do Anythingという責任と規律
You Can Do Anythingといえば、何をしてもいいという自由を意味するはずだが、なぜ、それが責任と規律を意味するのか。それは、何をしてもいいからといって、全く無制約ではないからで、そこには、社会に対する関係で、自由の反面としての責任と規律があるということだ。
人材像について、二つの異なる類型を設けてみた。一方は、期待という債務を負って働く人で、債務人材と名付け、他方は、自由という責任を負って働く人で、資本人材と名付けた。さて、You Can Do Anythingというわけだから、自由のもとでの資本人材の働き方を論じようというわけだが、対比の意味もあるので、先に、簡単に債務人材の働き方をみておこう。
債務人材というのは、実のところ、ごく普通の企業の人材のことである。ごく普通のという意味は、新入社員だろうが、最上層の幹部職であろうが、企業内の人材は、基本的に、企業の自分への期待の実現、即ち、企業から自分に与えられた具体的な職務の遂行もしくは達成こそが責務だと考えているだろうからだ。
故に、報酬とは、期待に対する報酬になる。成果主義ということをいうが、成果に対する報酬とは、期待以上の貢献、あるいは期待以下の貢献についての事後的な調整にすぎない。報酬は事前に決めておかなければならない以上、成果主義的調整は当然のことだ。純然たる成果主義というか、事後的な出来高払いのようなこと
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