提出された液体が本人の尿だと確定できなかったためにASKAが無罪放免になったことに関して、検察はお茶をお茶だと認めたのだろうから、検察はよくやった、と評価すべきだろうと書いておいたことがあったが、どうやら私の記事を真に受けてしまった方がおられたようだ。
霞が関文学があるのと同じように、実は早川文学というのもある。
表面だけサラッとなぞると何の変哲もない普通の文章なんだが、何となく違和感が残るように書いているものもある。
お茶をお茶だと認めだけで、なんでそんなに検察を褒めるのかしら。
当たり前でしょう。
普通は、そう言いたくなるはずだ。
その辺りの違和感が残るように書いたつもりだ。
なんでこんな当たり前のことを早川さんは書くのかしら、と思ってくれる人が一人でも現れてくれればありがたい。
色々考えると、ASKA無罪放免事件は実に不思議な事件である。
ご本人はお茶をスポイトに入れて、スポイトから出した液体を自分の尿として警察に提出したと言う。
お茶に覚せい剤が入っていたとは考えられないから、普通はお茶から覚せい剤反応が出るはずがない。
しかし、科捜研の鑑定ではASKAの尿として提出された液体から覚せい剤反応が出たと言う。
ASKAは、科捜研には何の問題もない、と言っているようだ。
その一方で、自分が尿を提出したら間違いなく自分は終わりになる、と思っていたとも言う。
自分は絶対に覚せい剤を
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